西興部村猟区管理協会

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第13~23回

シカ肉のはなしその1

写真1

写真1

 先日村内で何人かと鹿肉を食べました。当協会の事務局長が考案した「薪火ロースト」(写真1)という料理です。これは鹿の後ろ足を丸ごと薪火でローストするというものです。おそらく鹿肉料理の中でも最もおいしいもののひとつだと思われます。さて今回と次回にわたって鹿肉の魅力についてお話したいと思います。
写真2

写真2

 みなさんは鹿肉を食べたことはありますか?スーパーなどで売っておらず、普通に手に入りづらいので、食べたことのある人は少ないと思います。わが国ではあまり馴染みのない鹿肉ですが、欧米では比較的よく食べられています。フランスなどヨーロッパでは野生鳥獣の肉をジビエといって、大変価値のある食材として珍重しています。ハンティングシーズンともなると、パリの市場には家畜肉とともにシカやイノシシ、ウサギ、カモ、シギなど様々な野生鳥獣の肉が並びます。ジビエを上手に料理するのが、一流シェフの腕の見せ所であるともいわれています。そのなかでも、鹿肉は代表的な野獣肉です。山の草や木を食べて育った鹿の肉はまさに野趣あふれる山の恵みであるといえるでしょう。
写真3

写真3

 冒頭の鹿肉の薪火ローストを詳しく紹介しましょう。これには写真2のようにレンガやブロックを積み上げた専用の簡易オーブンが必要です。このオーブンの火床はわざとかなり高さをつけてあります。これによって「強火の遠火」が実現し、じっくり時間をかけて焼き上げることによって、写真3のように、表面はパリッと焼け、内部はじんわりと火の通ったレアーの状態に仕上がるのです。味付けは、塩と粗引き胡椒だけです。これをオリーブオイルで肉の表面にたっぷり擦り込みます。これは火によって肉が乾きすぎないようにするためです。撃った後の処理が適切ないい肉であれば他の調味料はいりません。むしろシンプルな肉本来の味が楽しめます。その味はというと、思い出しただけでも口の中に自然とよだれがにじんできます。ビールや赤ワインがおのずと進むこと請け合いです。みなさんに食べさせられなくて本当に残念です。
(2004年8月15日)

シカ肉のはなし2

西興部村のエゾシカ解体処理施設

西興部村のエゾシカ解体処理施設

前回から鹿肉のお話をしています。わが西興部村には有志からなる西興部村養鹿研究会という会があって、鹿牧場公園の運営とともに、保健所の許可を受けた解体処理施設(写真)でエゾシカの食肉加工を行っています。処理された鹿肉は村内の田尾商店で小売されています。また毎年2月には同研究会の主催で鹿肉パーティーが開かれ、村内外から2~300人の方が出席して様々な鹿肉料理を楽しんでいます。このように、西興部村はおそらく全国でももっとも鹿肉を食べている市町村のひとつだと思われます。しかし全国的には残念ながら鹿肉を食べるという習慣はあまり一般的ではありません。国会のある答弁によると、鹿肉の消費量ないし供給量などの正確な統計はないそうですが、年間300~400トンの鹿肉が消費されているのではないかということです。一方、その他の一般的な食肉の年間供給量はどうかというと、平成15年度の政府統計によると牛肉で78万トン、豚肉で147万トン、鶏肉で128万トンです。つまり、おおざっぱにいって日本人は鹿肉を牛肉や豚肉、鶏肉の数千分の1しか食べていないということがいえます。
さて現在エゾシカは増えすぎて、農林業被害や交通事故などが大きな社会問題になっています。北海道ではシカの数を減らすために、狩猟の規制緩和や有害駆除の奨励などを行ってきました。ここ数年は年間5万~7万頭ものシカを捕獲していますが、その肉は殆どが流通にのらず、多くは廃棄すらされているのが現状です。仮に年間5万頭のエゾシカを食肉として利用することを想定してみましょう。1頭から平均30kgの肉が取れるとすると、1500トンの鹿肉が生まれます。これを道民の人口568万人で割ってみると、264gとなります。つまり、道民みんなで年間たったの300gの鹿肉を食べれば、いま捕獲されているシカの肉を完全に消費することができるのです。ちなみに政府統計によると国民一人当たりの年間供給量は、牛肉で6kg、豚肉で12kg、鶏肉で10kgとなっています。さらに、1kgの鹿肉が3000円で売れるとすれば、1500トンのエゾシカ肉は45億円の価値を潜在していることになります。みなさんも、鹿肉を食べてみませんか?
(2004年9月1日) 

角のはなしその1

今年9月11日の“ミミコ”の角。長さ約60cm

今年9月11日の“ミミコ”の角。長さ約60cm

オスジカの頭に生える3叉4尖の2本の角。これはエゾシカの代表的な特徴です。3叉4尖とは、分岐が3つあり尖った先端が4つある形という意味です。今回と次回にわたって、この鹿の角についてお話しましょう。まず1枚目の写真をみてください。これはつい最近の9月11日に村内の鹿牧場公園で写した“ミミコ”という名前のオスジカの写真です。白い角から皮が吊り下がっているのが分かるでしょうか?これは、角が成長を終え、外側の皮膚が脱落して、骨化しているところです。
 
シカ類の角は分類学的には枝角といいます。この連載の第2回目にも少しお話しましたが、これはシカ類に特有の形質です。枝角というのは、枝分かれしており、毎年生え変わるタイプの角で、伸びきって完成したものは骨でできています。ちなみに、英語ではアントラー(antler)といって、Jリーグの鹿島アントラーズのチーム名はここからきています。これに対して、毎年生え変わらず一生伸び続けるのが、ウシやヤギ、ヒツジの洞角(ホーン、horn)です。これは、中心は骨でできているのですが、外側は角質化した皮膚の一種でできています。
 
    • 今年5月9日の“ミミコ”の角。長さ12cm

      今年5月9日の“ミミコ”の角。長さ12cm

    • 今年6月18日の“ミミコ”の角。長さ約50cm

      今年6月18日の“ミミコ”の角。長さ約50cm

ここで、2枚目と3枚目の写真をみてください。これは1枚目の写真と同じ個体の、それぞれ今年の5月9日と6月18日に写した写真です。エゾシカの角は普通4月頃にホルモンの影響で抜け落ちます。そしてすぐに次の角が生えてきます。角は伸びている間は表面を皮膚に覆われ、血が通っています。これを袋角といいます。血液によって栄養を補給して、根元から骨を形成しながら伸びていくのです。この時期の角を触ってみると、特に先端は柔らかく温かいものです。先端ではある種のホルモンが生成されているといわれており、実際、袋角は中国や韓国では漢方薬として珍重されています。また、袋角の表面には産毛がビロード状に密生しており、ちなみに袋角を英語でベルベット(velvet=ビロード)といいます。

さて、5月9日の写真は生え始めてからおよそ1ヶ月たったもので、長さを測ったら12cmありました。そして6月19日のときには正確な長さは測れなかったのですが、見た目では50cmぐらいありました。約40日間の間に40cmちかくも伸びたことになり、1日あたりに直すと約1cmずつ伸びていったことになります。そしてこの後、この個体の角は10cmちかく伸びてから8月になって成長を終了し、1枚目の写真のように9月になって外側の皮が剥がれ始めたのです。こんな角が自分の頭にあったらと、想像するとおかしな気分になりませんか?(つづく)
(2004年9月15日) 

角のはなしその2

オスジカはメスをめぐって角で争う

オスジカはメスをめぐって角で争う

前回に引き続いて鹿の角の話をしましょう。みなさんご存知のように角はオスジカの頭にしかありません。これはどうしてなんでしょうか?シカの繁殖システムはハーレム制といって、強いオスが複数のメスを独占して、交尾をします。このときにオス同士が争うための武器として角が進化したのです。エゾシカの交尾期は10月下旬から11月上旬にピークがあるといわれています。10月にはいると野山では「フィーヨー」という高く長いシカの鳴き声が頻繁に聞かれるようになります。みなさんも聞いたことがあるかと思います。これは「ラッティング・コール」といって、オスジカが他のオスやメスに対して自分の存在をアピールするために鳴く声だと言われています。そして、そのころになるとオスは完成した角をふりかざし、自分の子孫を残すためのオス同士の戦いに没頭することになります。角は2頭のオスがつつきあうようにして使われます。ただし、実際に角を使うのは最終手段で、だいたいは角でつつきあう前に、お互いに角や体の大きさを見比べあったり威嚇したりすることで勝負はついてしまうようです。

 

さて、ニホンジカ(エゾシカはニホンジカの亜種)をはじめとして世界に36種いるシカの仲間のうち、1種だけオスにもメスにも角があるシカがいるのをご存知ですか?それは、クリスマスにサンタのそりを引くといわれるトナカイです。なぜトナカイにはメスにも角があるのかというと、これには食べ物が関係していると考えられています。トナカイはユーラシア大陸から新大陸にかけての極北地域に生息しています。その地域は食物が極めて少なく、彼らはトナカイゴケという地衣類を主に食べています。このような状況ではオスメス問わず食物をめぐる個体間の競争が激しく、このためメスも角を生やすようになったと考えられています。ただ、トナカイのオスの角は他のシカ類同様、交尾期の武器として長く大きくて大変立派なのに対して、メスの角はオスほど大きくない可愛いものとなっています。

(2004年10月1日) 

アイヌの人々とエゾシカ

村内で捕獲された鹿の皮を塩蔵している様子

村内で捕獲された鹿の皮を塩蔵している様子

北海道の野生動物を代表するエゾシカ。立派な角の大きな牡鹿は気品があります。また生まれたばかりの子鹿は本当に可愛いものですし、牝鹿のすらりとした姿は優美です。内地から北海道に訪れる観光客の方たちは国立公園などでエゾシカをみると大変喜びます。しかし一方では、近年その個体数が爆発的に増加し、道民にとっては畑や山を荒らすやっかいな存在ともなっています。北海道に住んできた人々はエゾシカとどんな付き合いをしてきて、これからそれはどうなっていくのでしょうか?今回からエゾシカと人間の関係について書いていこうと思います。

 

北海道の先住民族アイヌの人々にとって、エゾシカは大変重要な動物でした。シカをアイヌ語でユクといいますが、これには食べ物という意味もあります。これはそれだけ鹿肉をよく食べていたという証拠でしょう。特に冬になると集落総出で巻き狩りを行い、沢の雪のたまりや崖の下に追い落として捕獲したそうです。肉は焼いたり煮たりして食べたり、また保存食にもしました。これはサカンケといって、肉を湯くぐししたものを、炉の上に上げて乾燥または燻製にしたものです。皮も重要な資源でした。毛革はチョッキのように羽織って防寒服にしましたし、毛を除いて柔らかくなめした革は女性の下着にしました。以前この連載の中でも紹介しましたが、実際、柔らかくなめした鹿皮はセーム皮ともいって柔らかく肌触りのいいものです。ところでアイヌの人々は動物や植物などを“カムイ”として神格化し崇拝していました。例えばヒグマはキムンカムイ(山の神)、シマフクロウはコタンコロカムイ(村の守護神)といいます。しかしシカについては神様としませんでした。これはその肉や皮などを利用する中で、彼らにとってより身近な存在だったからかもしれません。

(2004年10月15日)

北海道開拓とエゾシカ

幕末の探検家松浦武四郎によると、当時北海道の原野には膨大な数のエゾシカが生息し、あるときなどはエゾシカの群れが視界を埋め尽くし、まるで大地が動くようだったと記録しています。明治の開拓以前、エゾシカはアイヌの人々やエゾオオカミと対立関係の中で共存していたと思われます。ところが、明治維新に伴って北海道に内地から続々と移住者が入ることにより、それまでの人間と野生動物との関係が崩れ、新たな時代が訪れます。前回から人間とエゾシカの関係についてお話していますが、今回は明治時代のそれについて紹介します。
明治初期、エゾシカの個体数は高い水準にあったと考えられています。北海道の原野は初期の開拓者にとって農業をするのに大変厳しい環境だったのでしょう。一部の人々は産業の対象としてエゾシカに目をつけました。彼らはエゾシカを大量に捕獲し、肉や皮、角などを外国に輸出したのです。当時の地方政府だった北海道開拓使は千歳市の美々に官営のシカ肉缶詰工場を設立し、アメリカなどに輸出していました。皮もフランスなどに輸出していました。国際社会に仲間入りした当時の貧乏な日本にとって、エゾシカは外貨を稼ぐ重要な自然資源だったのです。狩猟統計によると、明治6~8年(1873~1875年)には年間12万頭前後ものエゾシカが捕獲されていましたが、その後捕獲数は徐々に減少します。そして明治12年と14年(1879、1881年)に記録的な豪雪がエゾシカを襲い、大量のエゾシカが餓死したといわれています。こうして、乱獲と記録的な大雪によってエゾシカは絶滅寸前まで追い込まれ、明治23年(1890年)には全道的な禁猟になります。明治の開拓はエゾシカにとって受難の歴史だったのかもしれません。
(2004年11月1日) 

エゾシカの爆発的増加

1990年代になってエゾシカが過剰に増えすぎ、農林業被害や交通事故などが深刻な社会問題になっています。1996年には全道の農林業被害額は50億円にも上っています。前回紹介しましたように、明治時代の乱獲と記録的な大雪によって一時は絶滅寸前まで追いやられたエゾシカが近年なぜこんなに増えてしまったのでしょうか?
前述の大雪の直後の1890年から、政府は激減したエゾシカを保護するために全道的なシカの禁猟措置をとります。この禁猟の時期はその後断続的に46年間つづき、エゾシカの生息数は徐所に回復します。そこで政府は1950年代に入って日高・十勝・網走にオスジカの可猟区域を設定しました。その後もシカの数は増加し、分布も拡大していったため、農林業被害が目立つようになります。これによりシカの可猟区域も拡大していきました。1993年度には68市町村でシカの狩猟が行われるようになり、1994年度には期間と場所を限定してメスジカの狩猟が始まりました。狩猟と有害駆除による捕獲数は、1970年度に2,305頭、1980年度に3,469頭、1990年度に16,134頭、2000年度には71,721頭にも上っています。
このような近年のシカの爆発的増加の背景には、ひとつにエゾシカが増えやすく減りやすい動物だということがあります。メスは栄養状態がよければ満2歳から毎年1頭の子ジカを生み続けます。シカの仲間は、オオカミなどの天敵からの捕食や厳しい冬の気象によって、死亡率が高く「減りやすい」動物です。シカはこれらに対抗して、繁殖率が高いなど「増えやすい」形質を進化させてきたのです。天敵のエゾオオカミの絶滅と禁猟によって、明治以降のエゾシカには減る要素が少なくなりました。さらに近年の暖冬傾向はこれに拍車をかけます。また戦後の大規模草地の造成などによってシカの食物が増えたことも見逃せません。このようにエゾシカは増えていったのです。
(2004年11月15日) 

エゾシカ保護管理計画

写真:エゾシカ保護管理計画

写真:エゾシカ保護管理計画

前回は、1990年代になってエゾシカが爆発的増加をした背景についてお話しました。今回はその後人間がシカとどのように向き合ったかについてお話したいと思います。前回も少し触れましたが、過剰なエゾシカは大きな社会問題を引き起こしました。ひとつの大きな問題はシカによる農林業被害でした。その被害額はピークをむかえた1996年度には全道で50億円にものぼっています。特に分布の中心である道東4支庁で被害が大きく、被害額は全道の8割以上を占めています。その多くは牧草です。一方、シカによる交通事故も相次いでいます。近年全道のJR事故件数は年間数百件で推移しており、2003年には最大の843件を記録しました。また自動車事故も国道だけで毎年数百件発生しています。シカによる交通事故は、自動車に大きな損害をもたらし、最悪の場合死亡事故にもなりかねません。

このような状況の中、道はエゾシカを適正に管理していくために、2000年にエゾシカ保護管理計画を策定します。この計画の目的は、シカによる被害を軽減をしつつ、シカの数を多すぎず少なすぎない範囲に誘導するというものです。シカは増えすぎると人間に大きな問題を引き起こしますし、逆に減りすぎて絶滅するようではいけません。このために科学的な調査に基づいて、毎年個体数の増減の傾向をチェックして、狩猟や有害駆除などによる捕獲圧を調整していくという計画です。これにより、増えすぎたシカを減らすために毎年6万から8万頭のシカを捕獲しました。道の調査によれば、個体数の傾向は1996年のピーク時と比べて、2002年にはその6割ぐらいまで減らすことができたといいます。また道は被害対策にも力を入れました。例えば被害の大きな道東地域では、シカを農地から締め出す電気柵やネットフェンスを張りました。この総延長は2600km以上にも及んでいます。これらの結果、農林業被害額は1996年度の50億円から2002年度には30億円を下回るようになりました。このようにエゾシカ保護管理計画はある程度の成果を収めたといえるでしょう。しかし、つい最近は再びシカの数が増加してきた可能性のあることが明らかになったり、農林業被害額が一時期よりは減ったとはいえ数十億円もあるなど、依然として予断を許せない状況であると思います。
(2004年12月1日) 

狩猟獣としてのシカ

エルク(右)とミュールジカ(左)のトロフィー。モンタナ州野生動物局にて

エルク(右)とミュールジカ(左)のトロフィー。モンタナ州野生動物局にて

明治時代以前から現在に至るエゾシカと人間の関係の歴史について、前回まで数回にわたって紹介してきました。近年爆発的に増加したエゾシカは農林業被害を引き起こすなど人間にとって厄介な存在になってしまいました。一方、彼らには自然資源としての価値もあり、その価値を有効に活用していこうという動きもあります。9月1日の回にも紹介したように、シカの肉は高蛋白低脂肪で、大変おいしいものです。その他、角は漢方で重宝され、皮はセーム皮として上質な素材です。ところで、このような物質的な価値のほかに、レクリエーション的価値があります。これには、自然観察や環境教育の対象であったり、狩猟の対象であったりなどです。

狩猟は、ライセンスを購入したハンターが様々な決まりを守って、猟銃などで野生動物を捕獲するスポーツです。捕獲できる動物は狩猟鳥獣として決まっていて、その中にシカも含まれています。日本では狩猟を楽しむハンターの数は十数万人と、一般的なスポーツとはいえませんが、欧米ではスポーツハンティングは代表的なアウトドアスポーツとして釣りと並んでとても人気があります。ちなみに去年私が視察したアメリカのモンタナ州は全米でも最も狩猟がポピュラーな州ですが、州民の4人に一人がライセンスを買って狩猟を楽しみます。シカは狩猟鳥獣の中でも大型なためビッグゲームとして人気があり、捕獲された大きなオスジカの角はトロフィーとしてハンターの勲章になります。特にエゾシカはニホンジカの中でも最も大型なので、北海道でのエゾシカ猟は内地のハンターの憧れともなっているようです。毎年数千人のハンターが雄大な北海道の自然の中でエゾシカを獲るために訪れますが、これによる宿泊や食事など経済波及効果はばかになりません。このようにエゾシカには狩猟獣として大きな魅力と価値を秘めているのです。
(2004年12月15日) 

新年号:NPO法人 西興部村猟区管理協会の活動紹介

あけましておめでとうございます。今回は新年号ということで、私の所属しているNPO法人西興部村猟区管理協会の活動紹介と今年の抱負、それから私の自己紹介をさせて頂きたいと思います。

前回まで、明治時代以前から現在に至るエゾシカと人間の歴史について触れ、狩猟獣としてのシカの魅力について紹介しました。私たちは、シカを捕獲することによってシカによる農林業被害を軽減し、シカなど村内の狩猟鳥獣を地域の自然資源として有効に活用し、地域経済に貢献することを目的とした活動をしています。これにより、野生動物管理の地域モデルを構築したいと考えています。猟区とは、「鳥獣保護及び狩猟の適正化に関する法律」に基づいた制度で、入猟者数・入猟日・捕獲対象鳥獣の種類・捕獲数などについて管理者が独自の管理をすることができる有料の猟場です。昨年7月に北海道から西興部村全域での猟区開設の認可を受け、昨年10月25日から北海道で唯一の猟区ということで「西興部村猟区」がスタートしました。西興部村猟区では事前に申し込みをしたハンターしか狩猟できません。かつ必ず地元ガイドをつけなければなりません。これにより、危険な発砲やシカの残滓の放置を防ぐことができ、安全でマナーのよい狩猟の実現につながるのです。昨年末までに10数名の入猟があり、殆どのお客さんがシカの捕獲に成功しています。また、私たちの活動のもうひとつの柱に、新人ハンターの教育があります。近年全国的に農林業被害など野生動物と人間との軋轢が深刻化しています。しかし一方ではこれに対応するためのハンターの人口減少と高齢化が問題になっています。そこで私たちは初心者ハンターに狩猟技術を伝え、次世代のハンターを増やすために狩猟セミナーを実施しています。今年の抱負としては、今年スタートした猟区の運営をますます発展させることです。特に入猟者数の増加と、適正に猟区を管理していくための西興部村エゾシカ保護管理計画の作成を目標にしたいと思います。

最後に私の自己紹介ですが、出身は神奈川県横浜市です。9年前に知床国立公園の知床自然センターでクマの調査補助員をするために北海道に移り住みました。その後北海道大学の大学院に所属し、釧路地方の白糠町でエゾシカの調査に携わりました。ここではシカに発信機をつけて日夜シカを追跡していました。西興部村に来たのは一昨年の10月、猟区開設の予備調査のためでした。その後、昨年1月から当協会のスタッフとして西興部村に在住しています。本年もどうぞよろしくお願いいたします。
(2005年1月1日) 

NPO法人 西興部村猟区管理協会の活動紹介その2

新人ハンターセミナーでのヒトコマ

新人ハンターセミナーでのヒトコマ

前回は当協会の活動の紹介をしましたが、今回はその補足をさせて頂きたいと思います。私たちの活動の目的をまとめると、1)エゾシカによる農林業被害の軽減、2)安全で秩序ある狩猟の実現、3)エゾシカの有効活用と地域経済への寄与、4)狩猟技術の保全、ということになります。この目的を達成するために、以下の活動内容を実践しています。1)ガイドハンティング、2)狩猟セミナー、3)環境教育、4)調査研究。前回説明したように、猟区の運営によって村内の狩猟を管理することで、エゾシカの個体数をコントロールしてシカによる農林業被害を抑制し、かつマナーの悪い狩猟者を排除することに努めます。逆に入猟するハンターにとってみれば、地元の地理や土地利用の状況に詳しいガイドが案内してくれるので、安心して狩猟を楽しむことができます。また西興部村のシカは体が大きく、狩猟対象として魅力があります。シカの分布の中心である釧路地方のシカは高密度化により餌資源が現象し、体サイズの小型化がおきているといわれています。このように入猟者に対して魅力的な猟場を提供することで、特に本州からのハンターを呼び込み、宿泊や飲食などで地域経済に少しでもプラスになればと考えています。また地域の子どもたちを対象として、シカをはじめとする野生動物などについての教育活動をすることで、子どもたちに地域の自然に対する理解を深めてもらう環境教育活動も行っています。それと前回紹介したように、狩猟技術の保全を目的として、狩猟セミナーを開講することで、狩猟技術の蓄積と初心者ハンターへの教育活動を行っています。以上の活動の基盤として、シカの個体数指数調査や捕獲個体分析などの調査研究を行うことにより、地域のシカの生息状況を把握することに努めています。詳しい活動内容については、協会のホームページを参照して頂ければ幸いです。
(2005年2月1日)