西興部村猟区管理協会

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第1~12回

エゾシカとは?

西興部村の自然を代表する野生動物、エゾシカ。夏にはオレンジ色に白い鹿の子模様の夏毛が、牧草地の緑によく映えます。また、冬には白い雪と深緑のトドマツ林の中、灰褐色の暖かそうな冬毛を見ることができます。さて、村では普段からよく目にするエゾシカですが、いったいどんな動物なのでしょう?どんなところに住んでいて、どんなものを食べているのでしょうか?ここでは、身近なようで遠い存在でもあるエゾシカの魅力を紹介していきたいと思います。今回は、エゾシカとはそもそも何者でなのかについてお話します。

 少し分類学的なお勉強をしましょう。エゾシカはニホンジカという種の1亜種です。ニホンジカという「種」は、14の「亜種」に分かれていて、エゾシカはそのうちのひとつなのです。国内には6つのニホンジカの亜種が生息しています。北からいくと、まず北海道のエゾシカ、本州のホンシュウジカ、九州・四国のキュウシュウジカ、屋久島のヤクシカ、馬毛島のマゲシカ、慶良間諸島のケラマジカがいます。エゾシカはそのなかでも体の大きさが最大級で、大きなオスは体重150kg以上にもなります。一方、最小級なのはヤクシカで、オスでも40kgぐらいにしかなりません。一般に哺乳類は寒い地域にいくほど体温を保つために体が大きくなるといわれています。南北に長い日本列島は、変化に富んだ自然環境をしているため、同じニホンジカにも地域によって大きな変異があるのです。また、海外のニホンジカは極東地域に分布していて、ロシア沿海州、中国東南部、台湾、ベトナムなどに8亜種が分布しています。ちなみにニホンジカのことを中国語で「梅花鹿(メイファールー)」といいます。昔の中国人は鹿の子模様から梅の花を連想したのでしょう。また英語では「Sika deer」といいます。Sikaは日本語のシカからきているのでしょう。
(2004年3月1日)

シカとは?

すらりと長い足と首、細長い顔と枝分かれした角をもつシカ。人間は大昔からシカを重要な食料として狩り、また美術のモチーフとして愛で、信仰の対象として崇めるなど、深く関わってきました。前回は、エゾシカとは分類学的にどんな動物であるのかを紹介しました。今回はさらに一歩進んで「シカ」とはどんな動物であるかについて紹介しましょう。

 シカの仲間は、哺乳類の中の「有蹄(ゆうてい)類」に属します。彼らは進化の過程で、爪のかわりに「蹄(ひづめ)」を持つようになったグループです。これは、植物食の彼らが天敵の肉食獣から逃れるために、地上を速く走れるように進化した特性だと考えられています。有蹄類は、それぞれの足に2本または4本の指をもつ「偶蹄(ぐうてい)目」と、1本または3本の指をもつ「奇蹄(きてい)目」という2つのグループに分けることができます。前者には、ラクダ・イノシシ・ウシそしてシカの仲間が属し、後者には、ウマ・バク・サイが含まれます。これらの2つのグループは約6千万年前に共通の祖先から分かれたと言われています。そしてシカの仲間は、偶蹄目の中でもウシやヒツジ・ヤギとともに「ウシ亜目」というグループに属します。彼らに共通の特徴として「反芻」をすることが挙げられます。

 さて、シカの仲間はユーラシア・南北アメリカなど世界中に広く分布しており、全部で36種いるといわれています。体の大きさはさまざまで、体重なんと800キログラムもあるヘラジカから、体重8キログラムしかないプーズーまであります。シカの仲間の最大の特徴は「枝角(えだづの)」です。枝角はウシなどの角と同じく骨でできていますが、毎年落角して再生します。角を生やすのはオスだけで、メスはトナカイを除いて角を持ちません。枝角はオスがメスを争うために獲得した形質であるといわれています。またシカの仲間は亜熱帯の深い森林から高緯度地域の開けた草原まで、多様な環境に生息しています。特にエゾシカは「林縁の動物」といって、森林環境と草原環境の両方を同時に利用しています。
(2004年3月15日)

エゾシカの春

樹皮を食べる小鹿

樹皮を食べる小鹿

ここ数日で急速に雪融けが進み、西興部にもとうとう春が近づいてきています。今年は記録的な大雪が降り、アメダスの積雪深は最大で163cmにも上りましたが、現在(3月24日)は61cmにまで減っています。西興部のエゾシカたちも厳しい冬が去りつつあり、ホッとしているかもしれません。さてこのような春先の時期は、エゾシカにとってどんな季節なのでしょうか?

実はこの時期はエゾシカにとって1年の中でも特に厳しい季節です。北国の北海道では、冬になると野山の植物の量が劇的に減少します。11月にもなると、夏には林内に溢れていた草本はほとんどが枯死し、広葉樹も葉を落としてしまいます。したがって草食獣の彼らの食べものが激減してしまうのです。このためエゾシカは冬に備えて、春から夏にかけてたくさん採食して、秋に体重はピークをむかえます。10月5日に学術的な目的で村内で捕獲されたエゾシカのメス成獣は体重が102kgもありましたが、お尻の皮下脂肪の厚さが5cmもありました。しかし11月から5月にかけては、多くの植物は枯れ、ササなど冬場も枯れない草本も厚い雪に覆われてしまうため、食料不足の期間が実に半年も続くのです。この時期彼らは雪の下のササや枯葉、樹皮、背の届く限りの枝先などを細々と食べて凌いでいます。冬の前半は脂肪の蓄えがあるのでまだよいのですが、春に近づくにつれて、利用できる食物は減ってゆき、脂肪のストックは底をついてきます。それに加えて道東地域は春先にドカ雪が降ることがあります。あと少しで長かった冬を乗り切れるというこの時期の大雪はシカたちにとって致命的です。このように、芽吹きを目前とした正にこの春先の季節が、彼らにとっては1年のうちで最もつらい時期なのです。冬が厳しい年には、この時期に大量のシカが餓死することさえあります。それもまだ体力のない子ジカや年老いた個体から死んでいくのです。人間にとっても春が待ち遠しいように、野生のエゾシカたちも春の到来を待ち望んでいることでしょう。
(2004年4月1日)

今年の冬は?

スノーモービルで連なってシカの姿と痕跡を調べました。

スノーモービルで連なってシカの姿と痕跡を調べました。

週末にスノーモービルを使ってエゾシカの調査をしてきました。村内のシカたちの今年の越冬状況を把握することが目的です。2日間をかけてペンケ川・2線の沢・フトロの沢川を沢沿いにモービルで走破し、目撃したシカの数とこの冬彼らに皮食べられた樹木の有無を調べるのです。調査メンバーは西興部村猟区管理協会のベテランハンターのOさんと同スタッフのIさんと私、そして地元の山に詳しいHさんの4人です。

 2日間とも小雪が降っており、スピードを出すと視界が悪くて難渋しましたが、なんとか目標のコースを消化しました。それまで雪山歩きといえばカンジキやスキーしか知らなかった自分にとって、モービルの運転は今年が初めてだったので、おそるおそるみんなに着いていきました。それでも慣れてくると、そのスピード感を楽しむ余裕もでてきました。

 さて調査の結果、十数頭のシカと多数の樹皮食い痕を確認することができました。シカは3~5頭の群でかたまっており、こちらに気づくとゆっくり逃げていきました。樹皮食い痕は直径20cm以下の比較的細い木で多く、ハルニレやノリウツギなどが食べられていました。ぐるりと一周皮を剥がされた木も少なくありませんでした。このような木は地下から水分や養分を吸い上げることができず、枯れてしまいます。ところで、シカの目撃や樹皮食いの位置にはある傾向があることがわかりました。それは、例年に比べて両者ともに下流で頻繁に見られ、上流では少ないというものでした。今年は雪が多かったので、シカたちは標高が低く比較的雪の少ない下流のほうで越冬したのではないかと考えられました。

 調査の帰路、国道沿いの所々雪が消えた草地で、10頭前後の鹿の群が去年の牧草の残りを食べているのが見られました。冬の間に落とした体力を必死で取り戻しているのでしょう。
(2004年4月15日)
    • シカによって皮を食べられた樹木。

      シカによって皮を食べられた樹木。

    • 斜面の雪面についたクマの足跡。1頭が沢へ下っていました。

      斜面の雪面についたクマの足跡。1頭が沢へ下っていました。

ライトセンサス調査その1

村内の牧草地の雪はすっかり融けて、緑の新芽がすこし出てきました。この草を求めて、夕方ともなるとエゾシカたちが厳しい冬の間に落とした体力を取り戻すために、山から群をなして降りてくるようになりました。牧草地にでてくるシカの数は、夜になって辺りが暗くなるとさらに増えてきます。今回と次回にわたって、このシカの数を数えるライトセンサスという調査について紹介します。

 ライトセンサスとは、夜間に決ったルートを車で低速で走行し、道の左右両側をスポットライトで照らしてシカを探して、その数や性別、年齢などを調べる調査です。ライトに照らされたシカは「なんだ、なんだ」とこちらを振り向きます。そうするとシカの目がライトの光を反射して遠くからでも発見することができるのです。西興部村猟区管理協会ではこの4月から毎月この調査をすることになりました。毎月決ったルートを調べることで、シカの数や出没場所などの出没状況を季節的に把握することが目的です。また雌雄や子ジカを識別して個体群の構成を把握することもできます。これらの情報は村のシカ個体群管理のためにとても重要なデータとなります。

 今回は4月13日から3夜連続で実施しました。調査ルートである中興部地区と中藻地区の決ったルートを三日間調査します。このように同じルートを繰り返して調べるのは、データの信頼性を確保するためです。これは、天候などによって出没するシカの状況が日によって変わる可能性があるからです。調査車に、スポットライト、双眼鏡、記録用紙、ヘッドランプなどの調査用具を積み込んで、さあ出発です。まだ夜風がしばれるので、手袋、帽子、防寒服を着込みます。このつづきはまた来週お伝えします。
(2004年5月1日)
    • 夜間に調査車に乗り込んで、スポットライトで左右のシカを探索します。

      夜間に調査車に乗り込んで、スポットライトで左右のシカを探索します。

    • ライトセンサスに使うスポットライトと双眼鏡。

      ライトセンサスに使うスポットライトと双眼鏡。

ライトセンサス調査その2

スポットライトに照らされたシカの群れ

スポットライトに照らされたシカの群れ

 西興部はだいぶ暖かくなり、山の斜面には今キタコブシの白い花が目立ちます。昨日はエゾヤマザクラが咲いているのにも気づきました。いよいよ春本番といった感じです。さて、今回も前回に引き続き、ライトセンサス調査のお話をしましょう。

 ライトセンサスとは、夜に車で走りながら左右をスポットライトで照らしてシカの数を数える調査です。4月14日の夜7時ごろ、辺りはだいぶ暗くなり、調査のできる時間帯になってきました。天気もよく風がないので絶好の調査日和です。調査は西興部中学校の前からスタートです。そこから国道沿いに興部町との境界までの中興部ルート(約9km)と、道道の興部町境界から峠下までの中藻ルート(約8.5km)が固定の調査ルートです。この決まったルートを繰り返し調査することで、シカの数などの季節変化や年次変化がみえてくるのです。

 スタートして数分後、国道から100m程離れた牧草地の上に光る点がいくつも見えました。ライトの光に反射するシカの目です。停車して、まず数を数えます。6頭いました。そして群れの構成を記録します。大人のメスが3頭と去年生まれの子鹿が2頭、そして立派な角をもった大人のオス1頭です。その後もシカを探して、全調査区間約17.5kmで、209頭のシカを数えました。その内訳は、大人のオス15頭、若いオス6頭、大人のメス48頭、小鹿33頭、識別不明107頭でした。これらのデータから、例えば大人のメスに対する小鹿の割合から、その年の繁殖状況を把握したりすることもできるのです。ちなみにライトセンサスではシカのほかにも様々な動物を見ることができます。キタキツネ、エゾユキウサギ、エゾタヌキ、クロテン、マガモなど、数は少ないのですが、なかなか多様な顔ぶれです。このような調査を毎月続けていきたいと思います。
(2004年5月15日)

エゾシカの樹皮食い

エゾシカに樹皮を剥されたハルニレ

エゾシカに樹皮を剥されたハルニレ

 ここ1、2週間、西興部村では暖かい日が続いて、すっかり春になりました。山は新緑の広葉樹の淡い緑色と、針葉樹の濃い緑色がみずみずしいコントラストをなし、牧草地はやわらかい草が人の膝ぐらいまで伸びて、道東の1年の中でも最も清々しい季節になってきました。先週には林道沿いにはタランボやウドが芽を吹き、ちょうど食べごろでした。実は先日村内で、冬の間にエゾシカによって樹皮を食べられた樹木の調査をしたところ、タラノキの樹皮がけっこうシカに食べられていました。今回はその調査の様子を紹介します。

以前もこの連載で、シカによる樹皮食いの調査の様子を紹介しましたが、今回はその予備調査を受けて、食べられた木の種類などさらに詳しく調べてみました。ペンケの沢や澱粉の沢など5本の林道を車で走って、林道沿いにある樹皮食いの痕跡を探して、木の種類や本数、太さなどを調べました。合計で約30km走行したところ約1000本もの木の樹皮がシカに食べられていました。そのうち、7割はハルニレで、次に多かったのが、ヤマグワ、タラノキ、ハシドイ、ヤチダモ、エゾニワトコ、ヤナギ類でした。その他にミズキやキハダなどが食べられていました。そして食べられた木のうち、ほとんどが直径20cm以下の太さのものばかりでした。直径が30cm以上の太い木はハルニレに少しだけみられました。一方、トドマツやアカエゾマツ、カラマツなど針葉樹は、オスが繁殖期前に角を擦り付けた痕を除いて、樹皮食いについては全くみられませんでした。以上の結果から、シカたちは食物の少ない冬の間は細い広葉樹の樹皮を食べること、その中でもハルニレなど限られた種類を好むことがわかりました。実際、ハルニレの樹皮は柔らかくて剥がしやすく、引っ張ると縦に長く向くことができるので、食べやすいのでしょう。逆に針葉樹の樹皮は硬く、松ヤニなども出るため、食べづらいと考えられます。また同じ樹種でも細い木は太い木に比べて柔らかいので、より食べやすいでしょう。木はぐるりと1周樹皮を剥がされてしまうと水や養分を吸い上げることができなくなって、枯死してしまいます。エゾシカは現在天敵のオオカミがいないことや暖冬などの影響で死にづらくなっているといわれています。このため人間がある程度その数をコントロールしてやらないと増えすぎて、農林業被害を及ぼしたり、自然植生を破壊したりしてしまうのです。同じ地球上の生き物の一員として、過剰な保護や乱獲の両極端に陥ることなく、よりよい関わり方を考えていくべきだと思います。
(2004年6月1日)

鹿皮なめしその1

古代から人間は鹿を狩り、肉は食用とし、皮はなめして服などに利用してきました。鹿の皮は、柔らかくて丈夫であり、大変魅力的な素材であるといわれています。なめした皮はその特長を生かして、例えば武士の甲冑の一部にも使われていました。鹿の皮を研究している北海道大学の教授によると、奈良の正倉院で見た甲冑の鹿皮は、作られてから数百年も経っているのに関わらず、他の動物の皮と比べて、その状態はかなりよかったそうです。またアイヌの人々は、エゾシカの皮を女性の下着に使っていました。現在は、カメラのレンズを拭くセーム皮や飛行機のパイロットの手袋の材料として重宝されています。

 西興部村猟区管理協会ではエゾシカの皮の有効活用を模索する活動も行っています。その一環で、北海道大学の農学部にて、西興部村産のエゾシカの皮をなめす機会がありました。今回と次回にわたってその実習の様子を紹介したいと思います。

 北海道大学の畜産学科には皮革の研究室があり、構内には専属のこぢんまりとした皮革工場があります。生皮からなめし皮にするまでにはたくさんの工程を経なければなりませんが、ここでは、皮なめしの一環の作業を全て行うことができます。今回は、脱毛からなめし液に漬けるまでの作業を行いました。写真1は、去年の秋に捕獲してしっかり塩漬けして保存しておいた生皮を、研究室の技官の方が、10日ほど石灰液の槽につけておいてくれたものです。右側のものがシカのもので、ちなみに左のものは牛の皮です。石灰に漬けることによって毛根をふくらませ、毛を抜きやすくするのです。これを、写真2のようにかまぼこ型の台木にのせて、せん刃という両端に柄のついた刃物で、力をいれてしごきます。そうすると、面白いように表面の毛を除くことができます。脱毛が終わった皮は、写真2の左に写っているドラムに入れて、水と薬品といっしょに数時間回転させて石灰を抜きます。写真3は、脱毛と脱灰が終わってきれいになった皮です。これを、写真4のようになめし剤の入ったカメに入れて、この日の作業は終わりになります。実は、厳密にいえばここからが「なめし」の工程になります。この続きはまた次回にお話します。
(2004年6月15日)
    • 写真1

      写真1

    • 写真2

      写真2

    • 写真3

      写真3

    • 写真4

      写真4

出産のはなし

保護された小鹿

写真1

西興部村もここ数日蒸し暑い陽気が続いています。村内の牧草地もあらかた一番草を刈り終えたようです。この時期はエゾシカの出産時期でもあります。「ベビーラッシュ」は6月中旬で、ちょうど一番草の時期と重なるため、草を刈っていたら子ジカが飛び出したなんて話がよくあるそうです。今回は前回に続いて「鹿皮なめし」のお話をする予定でしたが、完成したなめし革の受け取りが間に合わなかったので、予定を変更してエゾシカの出産のお話をしたいと思います。

エゾシカのメスは2歳になると毎年1回この時期に1頭の子ジカを生みます。生まれたての子ジカの体重はおよそ6kgほどで、双子はほとんどありません。あどけない目をした鹿の子模様の子ジカはなんともめんこいものです。実は、先日生後間もない子ジカが村の鹿牧場公園に収容されました(写真1)。村内の中藻地区でキツネに追いかけられていたのを村外の人が保護し、衰弱していたので鹿牧場公園に連れてきたのだそうです。エゾシカの子は生後2週間ぐらいまでは、母親について歩かずに茂みの中にじっとしています。母親と会うのは、日に数回の授乳のときだけです。これは、天敵に対する行動だと考えられています。生まれたての子ジカは速く走ることができず、敵に襲われたら逃げ切ることができません。したがって、敵に見つからないように草の陰に隠れているのです。実際、先日鹿牧場公園のワラビ群落を歩いていたら、いきなり足元から子ジカが飛び出しました(写真2)。ぎりぎりまでじっとしていたのでしょう。それでも、ときには敵に見つかってしまうようで、今回収容された子ジカも運悪くキツネに発見されてしまったのでしょう。

 さて、子ジカがやってきてから鳥獣保護員の大沢安広さんの「子育て」が始まりました。毎日4回6時間ごとに鹿牧場に通って、粉ミルクをぬるま湯で溶いて哺乳瓶で「授乳」します。そのまま牧場に泊まりこんでしまう日も少なくないようです。写真3のようにひざに抱いてミルクをあげますが、お腹いっぱいになった子ジカはときどきそのまま寝入ってしまうそうです。そうして育児で寝不足の大沢さんもそのままの体勢で寝てしまうこともあったそうです。一時期便がでなくて弱ってしまったこともありましたが、ここ数日は持ち直して元気になってきました。このまますくすくと育ってほしいものです。
(2004年7月1日)
    • 写真2

      写真2

    • 写真3

      写真3

シカ皮のはなしその2

「動物の皮をなめす」を、漢字で書くと「鞣す」となります。この字を分解すると革と柔になり、皮を柔くすることが「なめす」ことです。ちなみに厳密にいうと生の状態のものを皮、なめしたものを革といって区別しているそうです。それでは、皮なめしとは一体どんなことなのでしょうか?今回は前々回に引き続き、鹿皮なめしのお話をします。

「なめし」とは皮がいつまでも腐らず、しなやかさを失わないように加工することです。動物の生の皮をそのままにしておくと、当然腐ってボロボロになるか、乾燥して硬くなって使い物になりません。もっとも原始的ななめし方法は、脂肪や肉片をきれいに取り除いた生皮を揉んだり噛んだりして柔らかくする方法です。しかしこれだけだと、水に濡れたりすると縮んだり硬くなってしまいます。そこで、皮に含まれている繊維状のたんぱく質になめし剤を添加することで、腐りにくくて一定のしなやかさを保った革にするのです。これが皮なめしです。主な皮なめしの種類には、タンニンなめし、クロムなめし、ミョウバンなめしなどがあります。タンニンなめしは、植物の皮などから得られた天然のなめし剤であるタンニンを用いた方法です。クロムなめしは塩基性硫酸クロムのなめし剤を使った方法です。これらの方法は、毛を除いた革を作るためのものですが、毛皮をなめす場合は硫酸アルミニウムカリウムを用いたミョウバンなめしを行います。

 それでは、北海道大学での「西興部村産鹿皮なめし」の様子の続きを紹介しましょう。前々回は脱毛した皮をなめし剤に漬けるところまで説明しました。その後、1ヶ月半漬込んでなめし剤を入れたカメから引き上げたのが、写真1と2です。茶色のほうはタンニンなめしで、青白色のほうはクロムなめしです。
    • 写真1

      写真1

    • 写真2

      写真2

この後、タンニンなめしのほうは、薬品を使って余分なタンニンを除いたうえで、適量にしたタンニンを固着させ、皮を滑らかにするためひまし油を塗りました(写真3)。一方クロムなめしのほうは、このままではクロム自体の青白い色が目立ってしまうので、今回は黒に染色して、やはり油を加えました(写真4)。
    • 写真3

      写真3

    • 写真4

      写真4

この日の作業はここまでで、後は大学の技官の方にお願いして、乾燥させてもらいました。1週間ほどゆっくり乾燥させて完成したのが写真5と6です。タンニンなめし(写真5)は柔らかくて温かみのある自然な感じに仕上がりました。これで靴や鞄を作ったら、とても素敵なものになりそうです。一方、クロムなめし(写真6)のほうは、表面を磨いてツヤだしをしてあり、いわゆるレザーの都会的な感じに仕上がりました。これでジャケットやベストを作ったら、大変格好よさそうです。今後、ゆっくり何かに加工してみようと思います。
(2004年7月15日)
    • 写真5

      写真5

    • 写真6

      写真6